【シェア読書:678冊目】ないがままで生きる(玄侑宗久)

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【禅的な生き方を指南!】臨済宗僧侶・玄侑宗久氏が、目標・知識など現代人がとらわれがちなことを明らかにし、その心を解きほぐす6つの「無」を提示する。活発で平安な「ないがまま」で生きる無分別のススメ。

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書籍情報
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【書籍名】ないがままで生きる
【著者名】玄侑宗久
【出版社】SBクリエイティブ
【出版日】2016/1/7
オススメ度★★★☆☆
【こんな時に】心の平穏や導きがほしいときに
【キーワード】生き方自己対話人生メンタル
【頁 数】208ページ
【目 次】
1章 悟った人の世界はこんなに自由!〈無分別〉
2章 小賢しい思惑から離れると、身についた性(もちまえ)が豊かに現れる〈無為自然〉
3章 自分自身も無常。「それはそうだ」を常に突き崩そう〈無常〉
4章 人間に完成はない。一歩を踏み出せば無限の可能性が広がる〈無限〉
5章 全てを受け容れると、人は最も強くなれる〈無我〉
6章 未来を憂えすぎず、「今」に無心になろう〈無心〉

 

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1分間紹介文
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あなたは、普段どんなことをよく考えていますか?
その考えていることで窮屈さを感じることがある。そんな人にオススメな一冊。

 

著者は、玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さん。
臨済宗妙心寺派福聚寺住職。
慶應義塾大学文学部中国文学科卒業後、さまざまな仕事を経験。その後、京都天龍寺専門道場に掛搭。
僧職のかたわら執筆活動を行ない、平成13年『中陰の花』で芥川賞を受賞。

 

本書は、想定・秩序・目標など現代人がとらわれがちなことから、心を解きほぐすための6つの「無」の言葉を、日本で成熟した仏教や禅、老荘の考え方をもとに、禅的「生き方」を指南した一冊

 

●6つの「無」とは
・「無分別」:悟った人の世界はこんなに自由
・「無為自然」:小賢しい思惑から離れると、身についた性(もちまえ)が豊かに現れる
・「無常」:自分自身も無常。「それはそうだ」を常に突き崩そう
・「無限」:人間に完成はない。一歩を踏み出せば無限の可能性が広がる
・「無我」:全てを受け容れると、人は最も強くなれる
・「無心」:未来を憂えすぎず、「今」に無心になろう

 

いずれの言葉も、人間そのものの最も平和な在り方についての話。日本で成熟した仏教や禅、老荘の考え方に触れながら、自分の内なる言葉と対話することで、あなたの心は「無」に近づいていく。

 

「ないがまま」に触れよう。今のうちに。

 

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押さえておきたい15のポイント
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「あるがまま」ではどの自己が肯定すべき自己なのか、その迷いがどんどん深まって自縄自縛になるのに対し、「ないがまま」ならもとより裸一貫、その場で新たに自己を立ち上げるしかない。常にあらかじめの自己イメージを捨てたところから、まさしくその時その場の自己を立ち上げようというのだ。

 

世の中には反対語、対語が溢れている。たとえば、美醜、尊卑、大小、好き嫌いなど。しかし禅では、そうした相対的比較による価値観に意味を置かない。それは脳のクセに従った分析的解釈であり、「命」の本体とは何の関係もない。もっといえば、そんな解釈は「妄想」に過ぎないというのである。

 

「自然」は『老子』にも『荘子』にも出てくるが、「自ずから然り」という訓みのとおり、やはり人為を加えない在り方のことである。

 

「運が悪い」という証拠はけっして捜さない、という強靭な意志こそ、運の重要な下支えになると気づくだろう。
本当は、運がいいも運が悪いもないのだが、どうしてもそのような判断をしてしまう脳への、これは対抗措置である。

 

自然は常に我々の想定を軽々と超える。だからこそ「自然」なのだ。「一期一会」とは、「自然」と共に生きることを端的に表したのではないか……。人間がいかに精密に想定し、周到に用心しようと、必ずそれを超えてくるのが自然なのだろう。

 

生理学者の有田秀穂氏などの研究結果からも、腹式呼吸が心の受容性を増すように働くことは知られている。そして腹式呼吸へと誘引するのが正坐なのである。

 

日本人ほど宗教的な民族も少ないのではないか。ただ、我々の宗教的心情は挨拶言葉やお辞儀にまで深く浸透し、「もとのその一」に含まれてしまったから、外からはなかなか見えにくい。我々はそうした独自の宗教心に、もっと自信を持つべきなのである。

 

どう考えても、人生は先が見えないからこそ面白い。だからこそわざわざ生きるに値するのだと思う。

 

仏教の説く「我」とは、常に変わらぬ自性をもった我のこと。難しくいえば「常一主宰の実体我」のことであり、仏教ではそれが「無い」と否定するのである。
くだけた言い方をすれば、環境や状況によって人はどうにでもなる、ということだが、これは「自分がこういう人間だ」と思い込んでいる現代人にはとても示唆の多い教説といえるだろう。

 

写経とは、涼風という仏さまに出逢う束の間の旅なのである。

 

「苦しみ」と「憂い」、どちらが辛いのか、比べられるようなものではないかもしれないが、どうも私には、「苦」は力を溜められるけれど、「憂い」は力も入らない実態のように思える。

 

剣道、柔道、合気道、どれもそうだが、稽古の場で心がけるのはまず、基本的な動作が無意識にできるほどの反復練習である。
そうした単純な運動が、ストレスを解消し、同時に体力をつけてくれることも間違いない。
全身で反復練習をするのは、「無心」になるためでもある。要はああしよう、こうしよう、という意志ではなく、無意識に直観的に相手の動きに対応できるまで、我が身を使いこなしていくのである。

 

自分の思いを意志的に遂げるのではなく、変化に乗じてされるがままを楽しみ、自然と一体化する。天命が尽きるまでそんな在り方を続けよう、疑うまい

 

書くことも生きることも、自分の自然を拡張しつづけることのような気がする。別天神ならぬ私には、そのための不自然が常に必要になる。不自然が「ひとりでに」自然になったと感じるとき、そこにはきっと新しい何かがむすばれている。

 

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これをやってみよう!3つの実践ポイント
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【678-1】「運が悪い」という原因を探さないと決める

 

【678-2】正坐する時間を設ける

 

【678-3】感情が振れたとき「無い」を自分に長かけて見る

 

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今回のまとめ
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「ない」ことが、本来の在り方である。

 

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今回紹介した本
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ないがままで生きる

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玄侑宗久さん、素敵な一冊をありがとうございます\(^o^)/

 

興味をお持ちいただけましたら、ぜひあなた自身で本を体感してくださいね(^^)
少しでも参考になれたら、嬉しいです。ありがとうございました!

 

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