読書で「納得」してしまうのは非常に危険である。「なるほど」「そういうことか」こういう感情をもったときは要注意。今回は【「納得しない読書」のススメ】と題して、わたしの読書への向き合いかたを紹介する。
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■「納得しない読書」のススメ
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読書について書かれた古典に「読書について 他二篇」(ショウペンハウエル著)がある。
ショウペンハウエルは、19世紀に生きたドイツの哲学者であり、読書に対して辛辣とも言えるほどの批判を本書で展開している。
唐突にこの本を紹介したのには理由(わけ)がある。
それは、本書のある部分を書き留めたことが、わたしに「読書は納得してはいけない」と教えてくれ、その教えがわたしの読書を変えてくれたからだ。
「読書は、他人にものを考えてもらうことである。一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく」
この一文を読んで、あなたはどのように感じるだろうか。
きっと読む人によって、感じ方はさまざまだろう。
わたしはこの書き留めから「納得しない読書」を自分の読書に課すようになった。
著者が長い年月を考えつづけて得た知恵・見識を、あとにつづくものに伝え残そうとまとめたものが本であり、それを読むのが読書である。
だからこそ、このことを理解している勤勉な人であればあるこそ、勘違いを起こす。
本に書かれていることはありがたい教えなのだから、我を捨て、「素直にそのまま納得しよう」としてしまうのだ。
この、池の鯉が口をパクパクさせるように、ただ降ってくる教えを流しこんでいるだけでは、ショウペンハウエルの言うように、考える力は衰える一方だ。
考える力が衰えるということは、自分のなかに咀嚼し取りこむ力も比例して衰えるとわたしは思う。
これでは、なんのために読書をしているのかわからない。
まさに本末転倒である。
幸いにこのことに気づけたわたしは、読書を改めることができた。
難しいことはない。たった2つのことを意識して読書をするだけである。
●「納得しない」読書を確立するたった2つの方法
(1)教えをそのまま納得しないと自分の中で決める
(2)「本当にそうなのか?」「なぜそうなるのか?」を問いかけると決める
たったこの2つを意識するだけで、自分の中に「考える」というプロセスが必ず生まれるようになった。
そのプロセスがあれば、たとえ内容を忘れたとしても思考のカケラが頭のなかに蓄積される。
この蓄積によって、ひょんなことからアイデアが生まれたり、冷静な対処ができて失敗を防げたり、「あれ?最近なんか自分変わったかも?」と思えるシーンが日に日に増えていることを、わたし自身日々実感できるようになった。
(だからこそ、どんどん読書中毒になってしまっているのだが…)
「納得しない読書」を簡単に言えば、こどもが機関銃のように、ママに対して「なんで?」「ねえ〜なんで?」「どうして?」と質問攻めにしている。
まさにあの状態を頭のなかに再現しながら読書をするということだ。
本は決して逃げない。
読書で浮かんだあなたの考えを徹底的にぶつけるサンドバックとして扱おう。
本を見返したときに、自分の拳(思考)の後がクッキリと残っているのが見えるくらいに。
書店の本棚のようにただキレイなままでは、著者も泣く。
「納得しない読書」をぜひあなたも始めてほしい。
本日も、お読みいただきありがとうございました!
読書を楽しむ人を1人でも多く!
読書習慣の専門家
米山智裕
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