
【本からの学びシェア】「熱狂する現場の作り方(松山洋)」を読み終えて、感じたことや考えたことをまとめる。本書の中にある「熱狂」に触れて、これからの時代を生き抜いていくための1つの方法が見えてきた。
好きなら、なれます。
好きでなければ、なれません。
それだけです。
なれないのは、好きではないからです。
全てを捧げるくらいに好きですか?
だったらなれますよ
熱狂する現場の作り方(松山洋)
熱狂とは、文字通り「狂うほど熱くなる」ということ。熱くなるのはなんとかなりそうだが、「狂う」となると、よほどのことがない限り難しいように感じる。
同時に、「狂う」ほどに打ち込めるものがあるのは、とても羨ましいことだととも思う。時間も体裁も気にすることなく、ひたすらに1つのことに”狂えるパワー”。想像しただけでもすごいエネルギーを感じる。
この「熱狂」というキーワードを自分に投げかけてみると、今の自分がどれだけ人生に真剣に生きているのかを考えさせられる。「自分の中に熱狂しうるものがあるのか?熱狂のもととなる種があるのか?」と。
そこで”熱狂の種”を探す方法を考えてみた。
まずは、Evernoteやメモ帳、紙でもなんでもいいので、自分が好きだと思うことを100個書き出す。リミットを解除しただひたすらにひたすらに。100個も書けば、自分の中にある”好き”を出し切れると思う。
次に、引用文にある「全てを捧げるくらいに好きですか?」と、1つ1つ書き出した”好き”にぶつけてみる方法をとる。果たして何個残るだろうか。
これで残ったものが、これからの人生を生き抜いていくためのパワーの源=”熱狂の種”だと思う。一筋縄ではいかない人生という長い道のり。苦しい時期のほうが多いでしょう。どんな成功者であっても、苦労もなく成功した人は誰もない。全てを捧げる”覚悟”が持てるほど”好き”であれば、どんな困難をも乗り越えていけるはずだ。
そしてもう1つ。「全てを捧げるくらいに好きですか?」という問いかけをしていくことで、必然的に今の自分が日々やっていること、仕事・趣味など・・・、本当にこのまま続けていくのか?と考えるきっかけにもなるはずだ。もっともっと力を込めてやらなきゃダメだなと喝を入れるものもあるだろうし、ここら辺が潮時かなと区切りをつけなきゃいけないものも出てくるかもしれない。わたしが今こうして運用している「Share読書.Com」についても、改めて考えさせられた。
こうやって、自分の中にある”好き”を書き出して”熱狂の種”を探すという行為は、自分の人生をどうやって歩いていくかを決めることであり、自分で自分の人生に”覚悟”を決めるということに通じる。
「全てを捧げる覚悟があるのか?」と問うことで、時間の無駄を省くことができるだろうし、それは、人生の密度をどんどん濃くするということに繋がる。
お金や仕事はその気になれば取り返せるが、時間は決して取り返せない。
自分の人生を言い訳する理由を排除し、自分の道を歩いていく”覚悟”を常に自分に問う。そうやって日々を生きていけば、面白いことが起き、必要な引き寄せだって起きてくるだろう。真剣に生きている人は応援したくなるものだ。
なぜ、好きを我慢する必要があるのでしょうか?
誰のために、好きを我慢するのでしょうか?
我慢するあなたを見て、周りは本当に幸せなのでしょうか?
生き生きと生きていくことが、自分にとっても周りにとっても、きっと一番良いことだ。
自分の人生に、自分で蓋をしてはいけない。自分の”好き”を書き出して”熱狂の種”を探し、育てていくことで、その先に、自然と”熱狂している自分”の姿に辿りつく。これを追求し続けなきゃいけないのだ。
ひとりでも多くの人が”熱狂”することができれば、この世界ももっともっと素晴らしいものになっていく。
熱狂するためのたった1つの方法。
それは、好きに覚悟をプラスし、追求し続けること。
好きなら、なれます。
好きでなければ、なれません。
それだけです。
なれないのは、好きではないからです。
全てを捧げるくらいに好きですか?
だったらなれますよ
熱狂する現場の作り方(松山洋)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
photo credit: Charli XCX 41 via photopin (license)
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