「わかるだろう」は、
伝えることを放棄したと同義。
自分と相手は、まったく別の存在である。
ゆえに、その認識もまったく異なる。
自分にはあたり前のことでも、相手にとってはあたり前ではない。
自分には当然のことでも、相手にとってはそれが理解できない。
こうした”異なる認識”は、人間関係において永遠になくなることはない。
だからこそ、”異なる認識”を常に意識してコミュニケーションする必要がある。
これくらいで「わかるだろう」
同じ仕事しているんだから「わかるだろう」
いつも一緒にいるのだから「わかるだろう」
この「わかるだろう」を、今すぐ捨て去ろう。
なぜなら、「わかるだろう」でわかるわけがないからだ。
人は、それぞれが”異なる認識”をもつ存在であると述べた。
であるなら、相手に「だろう」などと期待するのはまったくもって無責任な話である。
コミュニケーションにおいて、「だろう」で済ませようとするのは、伝えることを放棄したのと同義である。
それくらいに、相手にとっても自分にとっても「だろう」は排除しなければいけないのだ。
どんなに正確に伝えたとしても、自分と相手の認識が、100%同じになることはない。
だからこそ、「伝える」ことにもっと真剣にならなければならないのだ。
100%は不可能。
なら、何%伝えることができれば、自分と相手にとっていいのか。
そのためには、自分はどうやって伝えなければいけないだろうか。
これを、場面場面ごとに丁寧に確実に実践していくことが大切である。
いや、ここまでやるのが最低限やるべきことなのだ。
あとは、相手がどれくらい受け取ってくれたか確認しよう。
自分の希望する%に達していないなら、補足する。
自分の希望する%に達しているのなら、感謝する。
こうやって段階を踏んでいくことが、会話でありコミュニケーションなのだ。
このことを疎かにして、「わかるだろう」に逃げてはいけない。
伝えたい想いがあるから、伝えようとしているのだ。
ならば、伝わることにもっと真剣になろう。
「わかるだろう」は、
伝えることを放棄したと同義。
了。
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